フリーランサー・エレジー
今年の5月、"母の日"の数日前に、洗剤ブランド・ライゾールの「Protect Like a Mother」というキャンペーンが始まった。学校まで子どもを送っていく母親熊、わんぱく小僧に虐められている子どもを救いにくる母親象、雨の中でベンチに座っている子どもを大きな翼で覆う母親鷲…。実際の動物を使い、生きるものすべてが持つ母親として子どもを守るという本能を、人間に変わって表現した感動的な広告である。制作はマッキャンNY、チーフクリエイティブオフィサーはTom MurphyとSean Bryan。「Ad Week」誌のクレジットにはそう記されている。
だが、その背後に、実は一人の母親 Amee Shahがいたことを知っている人は少ない。数年前まで、ニューヨークのBBHのクリエイティブディレクターだったAmeeは、このキャンペーンのピッチに参加して仕事を獲得したフリーランサーである。「2人の娘を持つ私の母親としての気持ちをそのままキャンペーンにしたのよ」という。だが、彼女はアイデアこそ提供したが、その後、キャンペーンの制作、展開については一切関与していない。また、クリエイティブとしてのクレジットももらえていない。「フリーランサーのエレジー(哀歌)ね」と彼女は笑うのだが。
マディソン・アベニューで活躍する"Hired Gun"
Amee Shahのように、広告界で活躍するフリーランサーが、この数年、増えている。その背景には、米国の広告業界を取り巻くさまざまな変化が、広告会社の伝統的なビジネスモデルを変えている事実がある。
言うまでもなく、広告会社の仕事とフリーランサーの関係は、いまに始まったものではない。昔から"Hired Gun"と呼ばれるフリーランサーが、マディソン・アベニューを舞台に活躍してきている。だが、ここ数年、広告業界で働くフリーランサーの数も、そしてその重要性も、急速に増加してきているのである。
理由の1つは、21世紀に入って、米国の広告業界は、これまで存在しなかった数々の新しい特殊な才能を必要とするようになっているからだ。デジタルの分野は言うに及ばす、コンテンツマーケティング、ストーリーテリング、VR、ARなど、新分野の知識を持った才能が必要とされている。新しいマーケティングを展開しようと考える広告主は、それを広告会社に要求する。
一方、数年前から始まったクライアント側のプロキュアメント(購買担当者)の介入により、広告会社の儲けとなるフィーは極度に削減されている。それによって、広告会社はクライアントの要求する新しい知識や才能を持つ社員を抱える経済的能力を奪われた。加えてメディアの細分化が進み、多様なメディアやイベントに広告費を分割しなければならない。しかも、その小さく割かれた広告予算を巡って、まるで小鳥を狙う鷹のように、複数の広告会社が仕事獲得のためのピッチに参加する。ピッチには新しい分野のケイパビリティを用意する必要がある。が、用意のできている広告会社はほとんど皆無だ。
そんな時、ピッチを救うのは、経験とノウハウを持った優秀なフリーランサーたちなのだ。「優秀なフリーランサーを起用していないピッチは皆無だろう」と、あるクライアントは語っている。事実、R/GAのエグゼクティブクリエイティブディレクターとしてグーグルなどの仕事を扱った経験を持つChuck Tsoは、家族と一緒にいる時間を増やしたいという希望から、5年前にフリーランサーとなったが、「仕事は順調に入ってくるが、ほとんどがピッチの"Hired Gun"です」と言う。
Chuckのように"Hired Gun"になれるフリーランサーの多くは、フリーになる前にすでにさまざまな広告会社に嘱望されるクリエイティブディレクターとして活躍していたキャリアを持つ人たちである ...