僕は法学部なのにコピーライターを志望する確信犯になった。
1983年、駿河台。21の僕は、大学の購買部で広告批評別冊「糸井重里全仕事」を見ていた。就活の面接で必ず「なぜ法学部なのに広告会社を志望するのか?」と聞かれては「世の中、コピーライターブームですよね。なんかカッコイイなあと思って」と正直に答えるわけにもいかず…。そんな時、目に飛び込んできたのが「金魚って、平和がつくったんだって。」というコピー。
名和昆虫博物館/1999年
○C/仲畑貴志
ホットカルピス/1982年
○C/土屋耕一
ユナイテッドアローズ/1998年
○C/一倉宏
広告コピーって、ふしぎ。コピーライターとして走り始めた20代半ば。ちまたにあふれる教科書をめくるたび、そう感じたのをとてもよく覚えています。広告コピーは消費されゆくことばのはずなのに、そうじゃないものがある。何十年も前に書かれたコピーに、ざわざわする。いいなあと、しみじみする。いつの時代でも、誰が目にしても同じようにそう感じさせる、文学でいうなら古典のようなものが、広告のコピーにあった。広告コピーの宿命ともいえる刹那とは対照的な普遍性がそこにあると知って、びっくりしたんだと思います。なにが「よくて」なにが「よくない」のか、そのモノサシをつくる過程で出会ったことばたちは、どれもすごく本質的だった。
仲畑貴志さんのコピーにもその手本はたくさんありますが、ひとつめは当時よく眺めていた『仲畑広告大仕事』から(現在絶版)。仲畑さんのコピーはどれも平易な言葉で、わかりやすくガツン!みたいなコピーばかりで。そこからひとつは決めがたいのですが ...