伝統とは過去のトレースではなく、新しい価値を現在に創りあげようとする態度から生まれる、と岡本太郎は言った。太郎の気配を残す、岡本太郎記念館は、今なお、若い才能を触発し続けるクリエイティブな場となっている。
右脳で感知し、遊べる場所
岡本太郎記念館の建物は、元々は1954年に南青山に建てられた岡本太郎の住居兼アトリエであった。バラックや戦後の面影がまだ残る青山にあって、建築家 坂倉準三による斬新な設計は目を引いたという。岡本太郎のパートナー(戸籍上は養女)である敏子と半世紀を過ごした家でもあったアトリエは、太郎没後の1998年に記念館として公開され、敏子が館長として太郎の語り部となった。
その敏子が2005年に急逝したため、敏子の甥で空間メディアプロデューサーある平野暁臣さんが館長を引き継いだ。「岡本太郎の気配を感じてもらいたいので、当時の空気感をキープするよう努めています。人気のある庭は雑草が生え放題で、作品ともども放ったらかしです。もう少し手入れをしろと来館者から叱られることもありますが、あえてそのままにしています。なぜなら太郎自身がそうしていたから。なにせバラのようなキレイな花は人間に媚びている、卑しいと言った人です。そんな太郎の美意識を大切にしたいし、肌で感じてほしい」と話す。
岡本太郎は、「伝統とは盲目的に過去をトレースすることではなく、新しい価値を現在に創りあげようとする態度から生まれるもの」と考えていた。この思想は平野さんにも受け継がれている。
「岡本太郎は肉体としては滅びましたが、今なお、その芸術思想は生きています。それどころか、若い才能を触発し続けている。TARO は決して過去ではなく、現在であり、未来なのです。岡本太郎を歴史上の偉人として神棚に祀ってはいけない。来館した小学生がよく、『タロー、タロー』と呼び捨てにしていますが、そういうのを聞くとうれしくなります。教科書で学ぶような教養や知識としてではなく ...