広告界20代クリエイター座談会「会社も業種も超えていくような仕事がしたい!」
いま広告界は、未来を担う若手クリエイターたちの目にどのように映っているのだろう。世代別会議は、コピーライター、プランナーとアートディレクターによる20代5人のトークからスタート。この大きな変化の時期に広告界に入ってきた彼らは、広告の仕事に何を感じ、どんなやりがいを見出しながら、日々の仕事に取り組んでいるのか。
55周年特別企画 クリエイティブ未来会議
世代別会議の最後は、経験豊富な50代クリエイターによる座談会。今も現役をまっただ中で続けながら、社長業を行う、飲食店を経営する、自分のラジオ番組を持つ、広告会社の改革に取り組む…など、広いフィールドで縦横に活躍する4人に、自身のキャリアとこれからをどう見つめているのかを聞く。
中島▶ 僕は今57歳だけど、若い時はこの歳まで現役で仕事を続けているとは思いませんでした。当時は55歳で定年だったから、今頃は引退して、井の頭公園あたりでベレー帽をかぶって油絵を描いてると思ってたんだけど。要は、50代後半は楽ができると思っていたけど、実際はそんな感覚が全くないね。今の年代観からすると、50代はまだまだ若造で“現役真っただ中”世代なんじゃない?
秋山▶ 信也さんは50代になってから、ラジオのパーソナリティ(文化放送『なかじましんや 土曜の穴』)を始めたり、テレビにも出るようになりましたよね。それは何か心境の変化があったんですか?
中島▶ 話をもらって始めたものだから、心境の変化というわけではないですね。ただ、自分の時間をコントロールできるようになって、機動力が上がったからできているよね。昔は「番組があるから俺は行く。あとはよろしく!」とは絶対言えませんでしたからね。50代になって命令を聞かなくてもよくなって、そこは楽になりました。
太田▶ 中島さんは昔から命令なんて聞いてなかったんじゃない(笑)?でも、確かに50歳をすぎて楽になったことはいっぱいありますね。私は初対面の人と緊張せずにしゃべれるようになったのもそう。
秋山▶ 僕はつい最近50歳になったんですけど、糸井重里さんに「50代を感じるのは55歳からだ」と言われました。頭に「男が」とついていたかも。女性はどうですか?
太田▶ 40歳過ぎたら一緒ですね。それは仕事をしているからかもしれないけど。
米村▶ 感覚的には、20代のどこかで精神的な年齢は止まっているよね。
全員▶ うん、止まってる。
米村▶ 鏡を見たら白髪が増えているけど、感覚は若い頃と同じ。もう少し熟成するかと思ってましたが、全然変わらない。
中島▶ 高校野球の選手がいつまで経っても年上に見えてしまうというね。さすがに最近は自分より若いと思うけど。
秋山▶ 大学生の頃って毎日のように飲み歩いてましたよね。でも会社に入って20~30代の頃は忙しくてなかなか行けなくて。40代になってようやく時間の融通が利くようになり、みんなと飲んでワーキャーするのがまた楽しくなっちゃって。
中島▶ 一番忙しい20代、30代を経てね。
米村▶ 僕は今も相変わらずです。一昨年、博報堂に戻ったんですが、元々新卒で博報堂に入り、デザイナーとCMプランナーを経験した後、ワイデン+ケネディに転職してグローバルとデジタルを学んで、その後ノープロブレムをゼロから立ち上げました。今は博報堂でこれまでの経験をさまざまな形で生かすよう、伝えるように務めています。なので、仕事の守備範囲は広がることはあっても、全く減らないんですよね。
中島▶ 偉いね。
太田▶ 米村さんはプレイヤーであり続けているから。米村さん、なぜ博報堂に戻ったの?すごく短く言うと。
米村▶ ワイデン+ケネディでブランディングの考え方と手法に感銘を受けたんですよ。それで、日本の「広告代理店」も広告業界の村社会から脱して、クライアントのグローバル化にも対応できる「クリエイティブエージェンシー」に体質を変えていかないといけないと思った。ノープロブレムの立ち上げはそのためだったんだけど、もっと大きな実践の場を考えた時に、最初に自分を育ててくれた博報堂に帰結するというのがすんなり腑に落ちたんだよね。でも、それは教育やマネジメント業務だけではできなくて。若手も、現場をやっている人の話だから聞くという部分があるだろうし。そういう意味で僕は「プレイヤー」だけど、「プレー」の意味合いが広がってますね。
太田▶ 戻る時は、自分から会社の誰かに相談をして?
米村▶ いや、博報堂の人と食事をした時に、外から見るとあそこがよくない、ここはこうした方がいい…とあれこれ苦言を言っていたんです。そうしたら、「興味ない?」と。
太田▶ だったら一緒にやってよ、と。
秋山▶ そういう人って会社にとって魅力的ですよね、確かに。
秋山具義(あきやま・ぐぎ)
アートディレクター。デイリーフレッシュ代表。1966年秋葉原生まれ。日本大学芸術学部卒。1999年デイリーフレッシュ設立。広告キャンペーン、パッケージ、写真集、CDジャケット、グッズなど幅広い分野でアートディレクションを行う。最近の仕事に、東洋水産「マルちゃん正麺」広告・パッケージデザイン、AKB48『さよならクロール』ジャケットデザインなど。イタリアンバル中目黒『MARTE』のプロデュースも手がける。
中島▶ 僕はいま、自分がヤングのときにやってもらいたかったことを若者にやっています。それはほめちぎるということ。僕自身が若い頃に「こいつは面白いから使ってやってください」と上の人に言ってもらえて嬉しかったんです。たとえ失敗しようと目立ちたい、面白いものをつくりたいというチャレンジングな人はとにかくほめる。自分がヤングから“巨匠”っぽく思われていることをわざと意識してほめると、頑張って高いところに登っていくんですよ。
米村▶ いいところを見つけてほめる感じ?
中島▶ 無理にじゃなく …