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青山デザイン会議

コンセプト?それともアイデア!?

倉成英俊×椿昇×山田遊

近年、ワークショップ、ハッカソンといった取り組みが企業内外で増えています。その背景には、外からの知見を得たい、社員の頭を柔らかくしたい、いろいろな人に参加してもらうことで自分たちの取り組みを広く知ってほしいなど、企業のさまざまな狙いがあると思います。もうひとつには、まずは社内でコンセプトを固め、それに沿う形で目標を決め、物事を進めていくという、従来のものづくりに無理が出てきているのではないか、と推測されます。SNSなどクラウド上で人やものがつながることが当たり前になってきた昨今、仲間とアイデアを出し合っているうちに完成した、つくりたいからつくってみた…と、よい意味で緩いものづくりや進め方が新しいプロジェクトを生み出し、イノベーションにつながってきています。そこで今回のデザイン会議では、電通でアクティブラーニングの新しい形を模索する倉成英俊さん、大学と地域でこれまでにないプロジェクトを進めているアーティスト 椿昇さん、地域・ものづくりの取り組みとして注目を集める「工場の祭典」の監修を務める山田遊さんに参加いただき、「そもそもいま、コンセプトは必要なのか」ということから話を進めました。三者が自身の経験から、これからのものづくりで何が必要なのか。そして、どのように進めていけばよいのか、話し合いました。

「コンセプト」って本当に必要?

倉成 思わぬことで入院し、1カ月ぐらい休養期間があったので、自宅の本棚の整理をしました。そのときに見つけたのが、何年か前の雑誌のコンセプト特集。「どんなことが書いてあるんだろう」と開いてみて、その後コンセプトについて書かれた同様の本も読み始めました。そこで気がついたのは、いまコンセプトって本当に必要なのか、ということ。というのは最近、僕のまわりではコンセプトを決めずに、メンバーだけ決めてアイデアを出しあい、最終形までもっていくようなケースが増えているからです。

椿 それがリアリティだと思います。でも、才能がない人は、あらかじめコンセプトを欲しがる。そんなものを欲しがっている時点で終わっていると思うんだけれど。

倉成 あるとき、周囲の人たちに「コンセプトって必要ですか?」と聞いてみました。MOMAにも収蔵されているゲーム『塊魂』をつくった高橋慶太さんは「コンセプトという言葉を使い始めたら、うまく行っていない証拠なのかもしれません」と。結局、いる派といらない派に分かれましたが、コンセプトというものは必ずしも必要ではなく、いる時といらない時があるのではないかと。

山田 最近、自分の仕事ではそれほどコンセプトは意識していなくて、どちらかと言えば企画は、それ以前に勝手に湧いてくるもの。例えば僕が企画・プロデュースで携わるイベント「燕三条 工場の祭典」。これは、各地域で乱発されている芸術祭に対しての僕なりのアンチテーゼです。もちろん、素晴らしい成功事例もありますが、僕が個人的に快く思えないのは、成功したものを真似すればいいというフォロワー根性です。そこに対してカウンターパンチを浴びせるつもりでやっています。

椿 僕はアートマーケットのためのプロダクトは生産しないので、ほぼ直感や予感に基づいてつくっています。特にアートの場合、衝撃や胸騒ぎを非言語で直接的にやり取りするもので、そのパワーを失ったら終わり。だから、僕自身はそこに集中して全精力を注ぎこむけれど、周囲の人が必要としている場合にはコンセプトを用意するようにしています。コンセプトといっても、まぁ、こじつけみたいなものですけどね。

倉成 大規模なプロジェクトを進める際に、最初に話すのが“3つの損”についてです。これを何のためにやるのか、ビジョンなりコンセプトなりを初期にちゃんと整理できずに、そこが緩いまま進めると後半に3つ損をしますよーと。1つ目は、時間。外部の人に協力を仰ぐ時、一流の人ほど本質を聞くから、そこが緩いと組むまでに時間がかかる。2つ目は、お金。目的達成のために、本来使わなくてよい余計なお金が必要になる。3つ目は、プロジェクトメンバーの人生。最後徹夜続きになったりした時に、俺はなんのためにやってるんだろうと必ずなる。プロジェクトによってコンセプトは必要だと思っています。でも、コンセプトと固めるのではなく、なぜこれをやるのか?やビジョンや考えでいい、と話しています。

コンセプトだけではプロジェクトは動かない

椿 瀬戸内芸術祭開催時に、小豆島で行われている「醤+坂手プロジェクト」でディレクターを担当した際に「観光から関係へ」というテーマを掲げました。これはプロジェクトに関わるメンバー全員が共有できるビジョンとして提示したものですが、このキーワードが奏功し、海外から小豆島に訪れる人が増えました。このプロジェクトにおける僕の役割は、イノベーションを起こす装置となる部分を創造すること。ここで大切なことは、その部分をクラウド上に置き、誰もが引き出せる状態にしておくことです。それを隅々まで浸透させるためには、ときにはコンセプトが必要だし、ときには説明責任が生じることがあります。

倉成 小豆島では醤油ソムリエという新たな職業が生まれましたが、椿さんはよく「サバイブするために新しい稼ぎ方をつくらなければいけない」とおっしゃいますね。

椿 小豆島でも、プロデューサーを務めた「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」もそうですが、僕は内需マーケットをつくりたいんです。例えば、日本の漫画は内需があって、そのうえで輸出しているから強い。でも、内需がないものを外へ出そうとすると弱いし、そもそも信用されません。アートで言えば、京都造形芸術大学の卒展ではアートフェアを開催しているのですが、国内だけではなくアジアからもコレクターを招聘したら、650万円の売上になりました。これだけの需要があるのに、京都には美術品を常設展示するホワイトキューブがひとつもありません。あれば絶対に売れるはずなのに、日本の作家や美術界はそういう努力をしていないなと感じますね。

倉成 卒展アートフェアというOS(オペレーティングシステム)自体を新たに作り出した、ということですね。

椿 つくったというより、あるはずのものがなかっただけ。わかりやすく言うと、飛行場というグローバルフォーマットがなければ、日本に行きたいと思っても海外から来ることはできませんよね。そしていまの日本は飛行場がすでにあったとしても、石ころだらけで飛行機が着陸できないような状態にあると言えるでしょう。

山田 同じような状況が、東京で開催されるデザインイベントにも言えます。何をやりたいのかが見えなくなって、今は海外から来日するバイヤーもデザイナーもジャーナリストも少なくなってしまいました。僕が不思議に思うのは、関係者が海外のイベントを視察に行っているはずなのに、いつまで経っても結局何も変わらない点。一体、彼らは何を見て帰ってきているんだろうと。

椿 そういう人たちと話すよりも、今は小豆島や京都など地方自治体にピリッとした人たちが出てきているから、そこと一緒に動いて新しい形をつくったほうがいい。僕はそこに大きな可能性を感じています。だから、将来的に取り残されるのは地方ではなく東京かもしれない。

山田 プロダクトを扱う仕事で釈然としないことに、日本のお客さまの多くは、この製品がどのようにつくられていて、なぜここに置かれているかということを自発的に考え、想像しようとしない。牛丼屋の椀と、漆塗りの椀を一緒に置いてあっても、違いがわかる人がどれだけいるのかなと。「工場の祭典」を始めたのは、その状態を何とか変えたいと考えたことも大きいです。プロダクトができあがるまでの背景を知ってもらうために、一時期は写真や動画を使ったPRも試みましたが、結局最後は産地に連れていくことが一番早い。実際に産地に行ってみると …

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