歴史に残したいラジオCMを編集部が選びました。発想の原点、技術的な工夫など制作者のコメントともに紹介します。
ぼくにとってラジオCMは、言葉である。そんなことあたりまえじゃないかと言われても、まあそうですねなのであるが、受け手を言葉で説得し、言葉で納得してもらうのだ。絵も映像もなく(トーゼン)、表現の新技術もとくになく、まあ音楽くらいはあるにはあるが、音楽のチカラでモノを売れとは無理な注文で、ひたすら言葉を連ねては見えない受け手の顔色を伺うのだ。
これ、結構難しい。言葉がむき出しだ。ごまかしが効かん。下手なレトリックを用いれば下手なレトリックを用いるヤツだと思われ、ロジックに破綻があれば実はバカじゃないかと勘ぐられ、誤用(檄を飛ばす、の誤用のような)をすればやっぱりバカだとバレてしまう。つまり、言葉がむき出しだということは、もれなくコピーライターまでもろ出しになっちゃってるという寸法だ。それがまた長尺、60秒120秒ともなれば、もろ出し具合も半端ない。誤解を恐れずに言うと、キャッチフレーズならなんかの偶然か間違いで当たっちゃったりすることもあるかも知れないが(しかも数文字)、ラジオCMにはそういう僥倖は望めない(しかも数百文字)。ラジオは若い人がやっといて …