約11年間アディダスジャパンのクリエイティブディレクター、ブランドマネージャーを経験し、2009年に独立した小松裕行さん。独立と共に東京・馬喰町に構えた事務所では2階をオフィススペースとし、1階にはカフェ兼定食屋「フクモリ」をオープンした。今年9月には新たに東京・神田万世橋に2号店をオープンするなど、その活動を拡大している。
――アディダスジャパンではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
アディダスジャパンは2002年に開催されたサッカー日韓W杯へ向けて、98年に設立されました。僕はそこのインハウスクリエイティブセクションでクリエイティブディレクターとして働いていたのですが、広告制作や店舗デザインはもちろん、社内外のクリエイティブも統括する立場だったため、社内のあらゆる部署が僕のクライアントになるような構造でした。つまりフットボールやランニングのビジネスユニットが、広告を制作するためにクライアントになるのは当然として、直営店を統括するユニットから店舗デザインを依頼されたり、総務部から年賀状や名刺作成を依頼されたりもする。そうするとあらゆる情報が集まってきて、ブランドと会社がどんな方向へ向かおうとしているのかが把握できるようになりました。ビジネスとブランドとクリエイティブという3つの視点から客観的に会社を見ることのできる、唯一のポジションにいたと思います。
――そこからどのような経緯で独立されたのでしょうか。
もともと独立する気持ちはまったくなかったのですが、07年にアディダスジャパンはスポーツ部門とファッション部門を分けることとなり、そのファッション部門でブランドマーケティングを統括するポジションになってほしいと会社から打診されたんです。でも、僕はその話を断りました。というのも先に話したように、僕がそのポジションにつくと、客観的に経営に意見を言うことのできる人間がいなくなってしまうからです。それで僕は「どうしてもそのポジションを求めるなら退職する」と言ったんです。