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広告を「読む」。

「大好きというのは、差別かもしれない。」のコピーから読む「言葉」のこと

山本高史

広告を読めば、なんかいろいろ見えてくる。例えば「言葉」のこと。

Y'SACCS(1994年) 
コピーライター 佐倉康彦

「愛だろ、愛っ。」は、実にグラフィック広告的なコピーではないかというところから、そのサントリー ザ・カクテルバーの広告を「読み」ながら→他人の言葉でも自分に届いたとたんもう自分のものなのだ→そこから想像力の羽を伸ばすことが言ってみれば人の知性であり→それが言葉の醍醐味であり、という経路を辿り「大好きというのは、差別かもしれない。」という佐倉康彦(敬称略)がいちばん好きかも知れないというイザックのコピーに到達した。そしてこのコピーは「テレビじゃ(その価値をわかってもらうのは)ムリだよね」というやりとりまでが前回の展開である。今月の原稿も、佐倉との会話の中で拾ったものを書いてみる。

次の問いで前回の原稿を締めた(締まっていないから今月も書いているのだが)。

問い)なぜテレビではムリなのか?
答え)テレビの言葉は「立ち止まれない言葉」だから。

この説明を要する答えを説明する前に、少し遠回りをする。

言葉の誤用について書く。例えば「うがった見方」というよく耳にする言葉は、実は大抵の場合誤用されている。「そういううがった見方はイカンよ」とかの「疑ってかかる見方」は誤り。正しくは「物事の本質を捉えた見方」で「そういううがった見方はイイね」というのが正しい用法。ところが前者の意味で日々使っている人が48.2%、正しい意味を知っている人が26.4%(文化庁 平成23年度「国語に関する世論調査」)。つまり誰かの発言に対して、「それはうがった見方だね」と正しく発言した人がいたら、48.2%の人から(あの人何わけわかんないこと言ってんだろ?)と怪訝な顔をされる。言葉を誤用する側は常に大手を振るが、正しく用いているにもかかわらず誤解される側はしばしば萎縮する。彼らがとれる策は一つしかない。その言葉を使わないようにすることだ。「うがった見方」のような含蓄のある立派な日本語は、遅かれ早かれ潰える。

唐突に話を広告に戻す。ぼくがコピーライターになってからの30年間で最も大きな変化の一つは、グラフィック広告からテレビCMなどの映像広告への重心の移動だと考えている。コピーの文脈で考えれば「書く→読む」ものから、「話す→聞く」への移動である。そこから「テレビではムリ」の理由を導き出す。以下は佐倉との会話をぼくなりに咀嚼したものだ。

あたりまえの話から始める。テレビの15秒コマーシャルから前後のノンモン(無音声部分)を除けば14秒。企業のサウンドロゴが1秒あるとしてさらに引けば、残りは13秒。その13秒には企業名も商品名も込みである。ちなみに早口にならないように読んでみて、「企業のサウンドロゴが」から「込みである」までで10秒を過ぎる。そこに「A社からB誕生」などと付け加えれば …

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