広告費の削減や人々のマスメディア離れが言われはじめて久しいが、それでもなお今日の日本において広告・メディアの力はその強さを持ち続けている。その力は、先人たちから脈々と受け継がれてきた精神、そして技術を発展させることによって成り立っているにほかならない。先人たちの優れた功績を見つめ直し、原点に立ち返ることで、広告・メディア界の現在、そして今後を考える。
日本における広告代理業は1890年代から1900年代にかけて数多く生まれたが,その中で明治、大正、昭和の長い期間にわたり発展を続けたものは数少ない。その代表的な企業が電通、博報堂、万年社である。1942年の時点でこの3社で広告代理業取扱高の約二分の一を占めており、いかに寡占的状況を持つに至っていたかが分かる。
業界で知られていることだが、この3社の創業者、光永星郎、瀬木博尚、高木貞衛には3つの共通点がある。第1に、いずれも最初から広告の仕事を志したわけではないこと。そのためいくつもの職業を経験しその試行錯誤が彼らの思考の肥やしになっていること。だから光永星郎が電通を創業したのは36歳、瀬木博尚が博報堂を創業したのは42歳、高木貞衛が万年社を創業したのは32歳という当時としてはかなりの高齢だ。第2に、いずれも…
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