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泉 麻人のたのしい広告採集

グリコCMと天津甘栗(東京都渋谷区)

泉 麻人

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イラスト/蛭子能収

この春、富ヶ谷の方に仕事場を移してからハチ公バスをよく使う。ハチ公のコミカルなイラストを描いたワンコインバスで、乗り場が渋谷の井の頭線の入り口あたりにあるのだ。ここでバスを待っていると、スクランブル交差点の向こう側のグリコのCMビジョンが目に入ってくる。ポッキーをはじめ、さまざまなグリコCMを眺めたが、ひと頃ココで再三流れていたキスマイのCMが印象深い。キスマイ(正確にはKis−My−Ft2というらしい)の何人かの顔がアップになって、キス、ウマイ、キス、ウマイと呪文のように繰り返すだけのCM。エチケット系の商品とは思っていたが、やはり「ウォータリングキスミント」という、デオドラント効果のあるガムのようだ。原稿を書いているいまどきは、吉高由里子の「チーザ」(チーズ分の濃いスナック。ビールのつまみに旨い)がよく流れている。

ところで、このビジョンのすぐ脇に「天津甘栗」の看板が出ているが、もしや若い人はこれもグリコの関連商品と思っているかもしれない。この甘栗はグリコの広告ビジョンが設置されるずっと前から、家主の三千里薬品が店頭で販売しているものなのだ。

三千里薬品、HPには会社設立・昭和37年、創業・昭和27年とある。ちょっとわかりにくいが、この店は初め食堂として創業、37年に本格的な薬屋となったのだ。実は以前、店頭にいたベテラン店員から、こんなエピソードを伺った覚えがある。「本当に初めは甘栗の露店でね、九里よりうまい十三里ってヤキイモ屋の文句があるでしょ、アレにひっかけて三千里って名前を付けた、って話ですよ」

三千里の看板を出した昔の店は、たとえば恋文横丁*を舞台にした昭和28年の映画「恋文」などにも映り込んでいるが、2階建の規模はおそらくいまも変わっていない。そして、さらに古い写真を見ると、三千里の斜向い(つまりハチ公バスの乗り場側)にもう一軒、天津甘栗の元祖「甘栗太郎」の店舗がある。こちらは戦前の写真にすでに記録され、渋谷の古老の話にもよく登場するから人気の店だったのだろう。と、こんな想像が浮かんでくる。

甘栗太郎の繁盛ぶりを見て、斜向いに三千里の甘栗屋が出店した。渋谷のファストフード戦争は、そんなところから始まっていたのかもしれない。

* 恋文横丁...終戦後、英語が書けない日本人女性のためにアメリカ兵に宛てて書く手紙を代筆する代書屋があったことから名づけられた。場所は109のあたり。

泉 麻人(いずみ・あさと)氏

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京を中心とした街歩き、現代風俗を中心に著書多数。著書に『東京考現学図鑑』(学習研究社)、『昭和切手少年』(日本郵趣出版)など。近刊は町歩きと喫茶店探訪のエッセー『東京いつもの喫茶店』(平凡社)がある。

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