創業期から広報担当として藤田晋社長を支えてきた広報責任者の上村嗣美氏。企業の成長にともない、広報のゴール設定はいかに変わってきたのだろうか。
アメーバに自身のブログを持つ芸能人、著名人を招いた「Ameba Thanks Party」。向かって藤田晋社長の右隣が上村さん。
当初は社長のイメージが先行
サイバーエージェントの広報は2002年、私ひとりでスタートしました。やがて事業が拡張していくのに伴い、広報はコーポレート広報とマーケティング広報に分けられ、2009年から各事業部に紐づいた広報担当者を置くようになります。アメーバをはじめ、ゲームや動画サービスなどのBtoCサービスの広報、広告事業部門の広報、アドテクノロジー事業の広報、新規事業のスタートアップ専門の広報……といったように事業の数だけ細分化されていったんです。その分、情報の統制や共有をしにくい状況が生まれていました。
そこで2015年11月に新設したのが「全社広報室」という部署。今は全社広報室が定期的にミーティングを開き、各事業部に紐づいた広報担当者が連携することで、会社としての広報活動の整合性を図ろうとしています。
私が入社した1999年当時は、ITバブルで世の中が浮き足立っていましたね。当社は上場目前とあって、「史上最年少社長の誕生か」と多くのメディアから注目を浴びていました。当時は事業よりも社長の藤田への取材の方が多く、取材件数がピークだった2005年は年間100件近くもの取材が舞い込みました。
今考えれば、何度もトップ取材に同席することで、経営者としての藤田の考え方が私の中に蓄積されたという経験は大きかったと思います。今は広報に関して藤田とわざわざ会議をすることはめったになく、迷ったときに藤田の考え方とズレがないか口頭で確認する程度ですが、それも当時多数の取材に同席した経験があってこそ。取材の場の積み重ねが、藤田の考えを理解する上で糧となっているように思います。
一貫した発信で信頼を得る
2000年に上場を果たした直後には、ネットバブルの崩壊によって、当社への取材が急激に減少するという時期も経験しました。さらに、サイバーエージェントは当時、高収益な事業体の実現のためメディア事業への先行投資を進めていたため赤字が続き、ネガティブな報道やバッシングが一気に増えた時期とも重なります。
厳しい状況の時に広報に求められる役割は、一貫したメッセージを伝え続けることです。私たちが特に注力したのは、事業の将来性をしっかりと伝えること。藤田はメディア事業立ち上げへの強い信念を持っており、先行投資でいろいろなメディアを立ち上げていました。プレスリリースでは、新たな事業を中心に、企業としてのビジョンや、会社の成長性を感じさせるストーリーを伝え続けました。
実現していない、しかも当時は赤字であった事業が成功していく見通しをメディアや社会に理解してもらうのは、かなり難しいことです。だからこそ丁寧に、真摯に伝えていくことこそが、一貫したメッセージを伝え続けるということだと思っています。業績が上がり ...