記者と広報は、なぜすれ違う?第一線で活躍するメディアの記者に本音で語ってもらいました。
「もう30分経ちました。ほら、校長も疲れているし、もういいでしょう」「あと1問だけって約束したじゃないですか」
東京都内で7月、義理の父に暴行を加えられた末に男子中学生が自殺した。注目を集めたのは「首でもつって死んでくれ」と息子に言い放った父親の非情さ。一方、顔にあざがあることを把握しながら児童相談所に報告しなかった学校側の不手際も問題視された。しかし、当該学校側が開いた会見は、男性校長が明確な説明責任を果たさないまま、学校や教育委員会職員によって一方的に打ち切られた。質問に真正面から回答をしようとしない学校側の不誠実な姿勢、1人の生徒の命に対する責任感よりも校長の体調を言い訳にする内向き体質を目の当たりにし、不信感が増すばかりだった。
有事対応で問われる真価
個人も組織もときには過ちは犯す。ポイントは、問題発覚後のダメージを最小限に抑えられるかだ。広報(記者対応者)の最大の使命は、組織にとって都合が悪いことが起きた際に、マスコミなどからの問い合わせにいかに早く、情報を混乱させず、真摯に対応し、「不手際はあったけど、やっぱりあの組織は信頼に値する」と世間に思わせることができるか。この1点に尽きる。不祥事を表沙汰にしたくはない、知られたとしてもなるべく「知らぬ存ぜぬ」でやり過ごしたい、最悪でも責任は下っ端だけに負わせたい……。組織防衛本能から、こういった考えに至るのは自然だ。しかし、世間の受け止め方は逆。結果として大きな問題でなかったとしても、対応が遅れたり、隠ぺい体質が浮き彫りになったりすることで問題が尾を引くほどに信頼は地に落ちていき、再浮上が難しくなる。
「組織守りたい」が逆効果
学校取材では、地方勤務時代にこんな経験もある ...