「戦略PRは終わりました。」─。宣伝会議のニュースサイト「アドタイ」にて3月末、このようなタイトルの記事が掲載され注目を集めました。2009年ごろを境に広報・PR業界で定着した「戦略PR」は、これからどこへ向かうのでしょうか?3人のキーパーソンが語り尽くします。
3月27日、アドタイに掲載されたコラム記事「戦略PRは終わりました。」の筆者は、インテグレートの藤田康人さん(代表取締役CEO)。片岡英彦さんはその数時間後、Yahoo!ニュース(個人)で「『戦略PRは終わりました。』と言わないための戦略PR」というタイトルの記事をアップしていました。
『あるある大事典』終了が節目に
山田 ...だけど僕は宣伝会議が主催の「戦略PR講座」の講師でもあるっていうね(笑)。
中川 はは(笑)。一体どうしてこういう流れになったんですかね?
山田 僕個人としては、戦略的にPRを考えるということは終わらないと思うし、ますます重要になっていると思うんです。あの記事のタイトルは世の中を刺激しようという狙いもあってのことだろうし、本当に伝えたかった本質は別のところにあるはずで。
中川 業界内で流行りの手法とかキーワードが定着したら、わざわざそう呼ぶ必要がなくなったっていう現象は昔からありますから、「戦略PR」もそういうことなのかもしれない。
山田 2009年にデビューした「戦略PR」っていう言葉が、いわゆる“パブ”でない“戦略思考”のPRと定義すれば、実は1990年代からそういう兆候はあったわけですよね。PR会社だけじゃなくて、広告会社を含めた「健康×マーケティグPR」とか、政治や選挙とPRの関わり方とか。
片岡 PRの歴史的変遷の話ですね。
山田 いつも言ってるんだけど、2007年の『発掘!あるある大事典』の終了は僕のなかではひとつのPRの歴史的終焉というか、節目だと思っていて。番組がああいう形で終わってしまったせいもありますが。
片岡 やらせ問題で終わった番組ですよね。納豆ネタで。
山田 そうそう。その流れを経て、やっぱり2009年が一つの分岐点なんですよ。本田哲也さんの『戦略PR』や中川さんの『ウェブはバカと暇人のもの』、津田(大介)さんの『Twitter社会論』、僕が書いた『脱広告・超PR』も2009年の出版ですから。
中川 今回、藤田さんが「終わった」と言い切ったのはある種、「戦略PR」という言葉を未だに使うのはさすがに恥ずかしい、と思うようになったんじゃないか、という気がしたんですよ。言葉自体がある一定の使命を終えたというか。それはやっぱりこの5年で、「戦略PR」というものが浸透した証なんだろうなと。
山田 言葉の定義や捉え方が食い違っていると、そもそもこの議論もあまり意味がないと思います。私の見解は、一般論として90年代から実施されてきた単純なパブじゃない、という意味の「戦略的PR」のことで、本田(哲也)さんの本を起点にブームアップした業界内での「“空気づくり”をください」といった盛り上がり、このあたりを指していると考えています。という意味で、この議論そのものが、PRの本質とか、戦略性とは少し違うところにあるのではと思います。
ブロガーイベント失敗の理由
中川 「ブロガーイベント」とかも、今さらやりましょうって言うのは恥ずかしいですからね(笑)。
片岡 そうですね(笑)。だからこそあえて、今ここでやってみるとかえって話題になるかもしれない(笑)。
山田 でも今もやっている企業もあるわけで、ああいうイベントの効果ってどうなんですか?
中川 「有名ブロガーが10人書きました」「トラックバックしまくってコメントが200つきました」みたいな話を社内で報告すると上司に「おお、すごいじゃないか」なんて言われるのが最大の効果だったんじゃないでしょうか。「すごい」の基準がよくわからない時代だからこそ、広告のプランナーが使えた手法だと思います。
片岡 まだどのサイトも総ページビューが多くない時代は、可視化しやすく分かりやすい指標だったんでしょうね。実は僕もクライアント側にいたときに一度トライしてみて失敗したことがあるんです。ある新商品を訴求するにあたって、1000人くらいの若い女性に映画の試写会に参加してもらい、全員にその場で試食もしてもらうという施策で。映画の幕間にも舞台上でトークショーをしながらゲストに試食してもらって、その様子を後からフリーペーパーに掲載しウェブTVでも放送するというスキーム。
山田 1000人は大変でしょうね...。
片岡 ええ。でも何が失敗したかというとクリティカルマス(急速に市場での普及が広がるほどのボリューム)に1000人程度では全く達しないんですよ。別に選んだ媒体が悪いわけじゃなくて、露出が具体的に何人に達したのかという意味で圧倒的に足りませんでした。それで行き着いた結論は、簡単に「戦略PR」とか「空気づくり」とか言っても色々やり方はある、だけど最後に苦心するのは「露出量の不足」「届かなければ入らない」なんだなと。
「ワシが仕掛けた!」PR列伝
中川 クリティカルマスの話で言うと、僕が1997年に博報堂に入った当時、CC局のおっさんたちが80年代の武勇伝を語りまくってたんですよ。「ワシがやった」と(笑)。いくつかネタがあって、一つはロサンゼルスオリンピックの時の、コカ・コーラのキャンペーン。原宿の竹の子族が踊るなか、皆でヨーヨーで遊んでみたらメディアに取り上げられてヨーヨーが大ブームになったとか。オレも感動して「すげー!こんな仕事ができる会社に入ったんだ!」なんて思ってたんですけど、これって今の時代なら「戦略PR」って呼べるんですかね?
山田・片岡 あははは(笑)。
中川 あと「スベルト」っていう塗って痩せるクリームね。「銀座の百貨店に1000人並ばせたのはワシだ」って人もいた。それと旅館が払う税金の値上げに反対しようってことで、旅館の女将たちを47人集めて「旅館女将47士討ち入り」とぶち上げて国会まで行進したとかって話もあったな。赤穂浪士の討入りの日に実行して、先頭の吉良上野介の役を山形のジェニーさんという白人の女将にしたと。「どやっ!」なんて言わせて(笑)。バカバカしすぎて、戦略PRとは呼べないのかな(笑)。いや、かなり戦略的だと思うんですけど......。つまり、昔から名前はついていないながらも、「戦略PR」的考えはあったんじゃないかと思うんですよ。
片岡 商品が結果的に売れたから後世に語られている、ということだと思いますよ。売れてなかったら「ワシが仕掛けた」なんて誰も言わないでしょうし。「ワシが松田聖子を育てた」という芸能関係者がたくさんいるっていうのと同じで(笑)。
(つづく)
続きは6月3日に公開します。
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コミュニケーション・プロデューサー 国際NGO「世界の医療団」 広報責任者 日本テレビの報道記者、宣伝プロデューサーを経て、アップルコンピュータのコミュニケーションマネージャー。MTVジャパン広報部長、日本マクドナルド マーケティングPR部長を歴任。ミクシィを経て、株式会社東京片岡英彦事務所代表取締役に。企業のマーケティング支援活動のほか、国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。 |
インテグレート COO/ コムデックス 代表取締役社長 1992年コムデックス入社。2003年藤田康人氏(現・インテグレートCEO)とB2B2C戦略の立案に着手。2007年5月、インテグレートを設立、COOに就任。2008年コムデックス代表取締役社長に就任。同年「魚鱗癬」啓発活動にてPRアワードグランプリ・日常広報部門最優秀賞受賞。 |
編集者/PRプランナー 博報堂入社後、コーポレートコミュニケーション局で企業のPR業務を手掛ける。2001年に退社し企業のPR活動、ライター、雑誌編集などをしながら、2006年からニュースサイトの編集者に。現在は編集・執筆業務の他、ネットでの情報発信に関するプランニング業務も。 |