広報の仕事は、「どこからどこまで」と明確な定義があるわけではない。しかし、高い志とスキルを持った人は、サポーターとして手伝ってもらえないかとあちこちから声を掛けられることも多い。6足のわらじを持つ売れっ子広報に、求められる資質やスキルを聞いた。
同じテーマの活動はコラボPRも可能
みんなのウェディング、日本愛妻家協会、明治大学商学部のゼミが協力して行った「キャベチュープロポーズ大作戦!」。活動領域を決めることで、コラボPRもしやすい。
挫折を経験して
「案外、何とかなるものですと伝えたい」とフリーの広報コンサルタントとして活躍する小菅隆太氏は話す。小菅氏が1998年新卒で入社したのは、自動車販社だった。「当時はITバブルの真っ只中。なぜ自分は、こんなアナログな組織にいるんだろうと感じていました」と話す小菅氏が、待遇もよく安定した仕事を辞めて飛び込んだのが、ディー・エヌ・エー(DeNA)の営業の仕事だった。
在籍中の2年間、「ネット販売セミナー」と称し、全国46都道府県のべ350回の講演活動を行ったことがその後のキャリアにも影響を与えている。当時のDeNAは知名度もなく、セールスを担当していたネットのオークションやショッピングサービスはヤフーや楽天の独壇場だった。スーツケースにPCとプロジェクターを詰め込み、地方の公民館などを会場にネットオークションの使い方を説明する。「初めて会う人に、分かりやすく新しいことを伝える技術を、ここで得ました。また、地方には良いものがたくさんあるけれど、よく言う『よそ者』『ばか者』『若者』が入っていかないとそれを伝えるのは難しいことにも気づきました」。
DeNAには6年半在籍したが、その後は事業開発や人材派遣業、資格試験など転職を繰り返す中で家庭生活がうまくいかなくなるなど、公私ともに挫折を経験した。しかし、そのことが結果的にあらためて自分がやりたいこと、できること、しなければならないことを整理する機会になったという。そんな時、広報の力を実感させる大きな転機となる出会いがあった。「最も身近な赤の他人を大切にする人が増えると世の中はちょっぴり平和になるかもしれないね」というスローガンのもと、日本愛妻家協会を立ち上げた山名清隆氏との出会いだ。「彼の発信力、人を巻き込む力に衝撃を受けました。自ら主体的に自分にマッチする仕事を選びとる働き方、生き方自体を指南してくれた恩師でもあります」。