ユニークかつ効果的なプロモーションを展開する企業のトップに、どのような視点で販促を考え、展開しているのかを聞く。
競技用車いすの分野では高い知名度を誇るオーエックスエンジニアリング。創業当初はオートバイの販売店だった。同社が車いすを製作・販売するようになったのは、当時の社長である故・石井重行氏が、オートバイ事故で脊髄を損傷し、車いすを必要とするようになったことがきっかけ。既存の車いすでは満足できず、個人プロジェクトとして車いすを開発。93年から本格的に車いす市場に参入した。現社長の石井勝之氏は、創業者である父の志を引き継ぎ、社長就任以来、事業をさらに成長させてきた。同社の車いすを使った選手は、これまでに7度のパラリンピック大会(アトランタ・長野・シドニー・アテネ・北京・ロンドン・ソチ)で合計106個のメダルを獲得している。
オーエックスエンジニアリング 表取締役社長 石井勝之(いしい・かつゆき)氏
1980年千葉県生まれ。2002年4月オーエックスエンジニアリング入社、商品開発室に配属。その後、グループ会社(レブ、オーエックス新潟)に勤務。2009年にオーエックスエンジニアリングに戻り、営業部に配属。ららぽーとTOKYO-BAY店で車いす販売を担当する。同年、ららぽーとTOKYO-BAY店が独立し、オーエックスTOKYO-BAY設立、代表取締役社長に就任。12年、オーエックスエンジニアリング取締役に就任。13年、同社代表取締役社長に就任。
オートバイ販売から車いすメーカーへ
今年はブラジル・リオデジャネイロでオリンピック・パラリンピックが開催、また国内では2020年の東京大会に向けた動きが、社会的、経済的に話題となることが多くなり、スポーツへの関心はますます高まっている。
千葉市に本社を置くオーエックスエンジニアリングは、競技用車いすの開発・販売で、多くのアスリートから高い支持を得ている企業だ。特に、競技人口の多いテニスやバスケットにおいては、同社の競技用車いすのシェアは約8割にも達する。
1976年創業の同社は、もともとオートバイの販売店だった。創業者でもあった当時の社長、故・石井重行氏は、販売店を経営するかたわら、モーターサイクルレースのライダーやジャーナリストとしても活躍していた。ところが84年、新型オートバイの試乗中に不慮の事故で脊髄を損傷。車いすを必要とする身体障がいを負った。
既存のオーダーメード車いすを何台も使用したが、機能やデザインに飽き足らず、個人的なプロジェクトとして車いすの製造に着手。その後、改良を重ね、93年から本格的に車いす市場に参入した。
現在の代表取締役社長 石井勝之氏は「当社は車いす市場においては後発企業。先行企業の商品の中で、自社の商品を効果的に認知してもらうために考えたのがアスリート用車いすの開発でした」と話す。
当時、車いすは“医療器具”という見方をされることが多かった中、オーエックスエンジニアリングは性能の良さやかっこ良さを追求する商品作りを行った。性能の高さをユーザーにアピールするのに一番分かりやすいのは、スポーツ大会で同社の競技用車いすを使っている選手が好成績を収めることだ。そこで、アスリート用の車いす製造に注力。パラリンピックにおいて、同社の車いすを使った選手の獲得したメダル数は、7度の大会(アトランタ、長野、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、ソチ)で合計106個に上っている。
高性能の競技用車いすで企業ブランド価値を上げる
オーエックスエンジニアリングは、競技用車いすと日常用車いすの両方を製造・販売している。競技用と日常用の車いすの売上比率は、1対9で日常用の方が圧倒的に多い。しかも、日常用も競技用も価格は30万円前後でそれほど変わらないが、競技用は一人ひとりの選手に合わせた調整が必要になることもあるため、その分コストがかかり利益は少ない。
それにもかかわらず競技用車いすの製造・販売に力を入れているのは、パラリンピックなどで活躍するアスリートに車いすを提供することによって、企業や商品のブランド価値が高まるからだ。そうすることで、日常用車いすの購入を検討している顧客は、オーエックスエンジニアリングという企業や同社の商品に信頼感を寄せ、購入に結びつくことにもなる。石井氏は「当社の製品は他社に比べて10万円ほど高いが、それができているのも …