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世界の観客が沸いた! リオ大会 旗引き継ぎ式の舞台裏(後篇)

「安倍マリオ」の登場など、予想外の演出の連続で観客を沸かせたリオ大会旗引き継ぎ式の東京プレゼンテーション。日本を代表するトップクリエイターたちが一丸となってつくりあげたセレモニーの舞台裏を公開する。

    パラリンピック 旗引き継ぎ式

    01 映像パート:1964→2020
    1964年の東京パラリンピックで金メダルを取った2人の日本人が登場。義足モデルのGIMICOが東京の街を闊歩し、その義足が東京を想起させるさまざまなものに変化し、最後に東京スカイツリーになる。

    02 障がいを魅力へスイッチする
    パフォーマーの1人目は、日本で初めての「Amputee model(切断手術を受けたモデル)」であるGIMICO。ダンスユニットAyaBambiと共に出演。

    03 障がいを作用点にする
    2人目に登場したのは、ダンサーの大前光市。短い足を持つ者にしかできない、世界で唯一のダンスを、ライゾマティクスが開発した光る義足と共に表現。

    04 「障がい」という違いを、楽しむ
    3人目に登場したのは、視覚障がい者である檜山晃。東京の街をモチーフにした特製の楽器デバイスに触れると、バックには東京の風景が映像で現れる。4名の女性ダンサーが詩の内容を手話で伝え、さらにおもてなしを体現した動きで、言葉を可視化する。

    05 多様な人々が交わること
    車いすパフォーマーとアカンパニストによるコンビネーションダンスに、ダウン症ダンサーのパフォーマンス。

    06 PARADE! ポジティブは連鎖する
    パフォーマー全員によるパレード。やがて全パフォーマーが集結する。

    Tokyo 2020/Shugo TAKEMI、「NHKリオデジャネイロパラリンピック」映像より引用

障がい者の言葉がヒントに パラリンピックの旗引き継ぎ式

オリンピックの約1カ月後に行われたパラリンピックのセレモニー演出企画も同じメンバーで進められた。「パラリンピックはオリンピック以上に、演出以前の考え方、コンセプトが重視されました。専門家の方にお会いしたり、僕は先行して本や文献を大量に調べたものの、経験も知識量も足りず、『障がい者』というテーマに対してほぼゼロからのスタートとなり、非常に苦労しました」と菅野さん。

突破口を見出すきっかけは、いずれも人との対話の中にあった。パラリンピック出場経験を持つ射撃選手の田口亜希さんからは、「下半身に麻痺が出て、車いす生活になったときは絶望し、パラリンピックも見たくなかったが、残された上半身をどう生かすかと考えたときにポジティブになれた。今の私は誰かに支えられるだけでいたいわけでも、ヒーロー扱いされたいわけでもない。私たちも誰かを支える側になりたい」と聞き、“支え合う”というヒントを得た。上肢下肢に障がいを持つワン・トゥー・テンのクリエイティブディレクター澤邊芳明さんと話をした佐々木さんは「色々なことが切り替わる作用点=『ポジティブスイッチ』という話を聞いて、それがずっと頭に残っていました」と話す。その言葉が後にメインコンセプトへと発展していく。

JPC(日本パラリンピック委員会)の山脇康理事長からは「身体障がい者によるパフォーマンスはこれまでも目にしてきた。だから、東京のプレゼンテーションでは視覚障がいの方も含めてパフォーマンスができたら素晴らしい」と助言があった。さらに、初めて「パラリンピック」と称された1964年の東京パラリンピック大会で唯一金メダルを取った2人の日本人について教えてもらった。「ご本人にも話を聞いたところ、当時自分たちは救急車で会場へ行ったが、他国の選手はごく普通に元気にしていて、なぜ自分だけ病人扱いなのかとショックを受けたと。“普通”という言葉が印象に残りました」(佐々木さん)。

これらの言葉とオリエンの際に聞いた「パラリンピックはその国の意識や価値観を変えることに本当の意義がある」という方針か ...

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