IDEA AND CREATIVITY
クリエイティブの専門メディア

           

私のクリエイティブディレクション論

ブランディングこそがCDの最大のミッション

曽原 剛

博報堂でコピーライターとして経験を積んだのち、TBWA\Chiat\Dayに移籍。ここでAppleの仕事と出会ったことで、曽原剛さんのキャリアは大きな転換点を迎える。日本と海外でAppleの仕事に8年間従事し、人々の記憶に残る多くのキャンペーンを手がけたのち、2014年にはジェイ・ウォルター・トンプソンのECDに就任。新たな環境でクリエイティブに取り組む曽原さんに話を聞いた。

曽原 剛(そはら・ごう)
ジェイ・ウォルター・トンプソン・ジャパン エグゼクティブ クリエイティブ ディレクター。1999年博報堂入社。博報堂でコピーライターとして7年間在籍したのち、2006年にロサンゼルスのTBWA\Chiat\Dayに移籍し、Apple、日産及びオーディオ機器ブランドであるJBLのクリエイティブを手がける。その後2007年に日本に帰国し、東京と北京にてTBWA\Media Arts Labを立ち上げ、Appleのリージョナルクリエイティブディレクターとして中国、日本、韓国、オーストラリア向けのキャンペーンを開発、グローバルクリエイティブチームの主要メンバーとしてグローバルキャンペーン開発にも携わる。2010年に再び米国に戻り、ロスのTBWA\Media Arts Labにてクリエイティブディレクターとして従事。その後2014年にはグループクリエイティブディレクターとしてAppleのクリエイティブ開発を担当する。2014年9月より現職。

——曽原さんとAppleのお仕事の関わりについて教えてください。

博報堂に7年在籍したのち、2006年、交換留学のような形で移籍したTBWA\Chiat\Dayでアップルチームに配属されたんです。このアップルチームが3カ月後にはMedia Arts Lab(Apple専業の独立会社)となって、そのままアジア出身メンバーとして配属することになりました。Mac vs PCのキャンペーン「Get a Mac」を手がけたのもこの頃で、日本用にローカライズし、ラーメンズに出演してもらったシリーズCMなどをLAで日本チームと制作していました。

その後日本に帰りましたが、「そのままAppleの仕事を」ということで、東京のMedia Arts Labの立ち上げに参画。日本とアメリカを往復しながら、北京にもMedia Arts Labを立ち上げ …

あと73%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら

私のクリエイティブディレクション論 の記事一覧

ブランディングこそがCDの最大のミッション(この記事です)
ゴールを提示し、チームを精神的に支える

おすすめの連載

特集・連載一覧をみる
ブレーンTopへ戻る