本質を一本の線に託す
>京都市立芸術大学の2回生の頃、初めてクロッキーで裸婦のモデルを描く機会がありました。「デッサンは何回も線を重ねたり消したりしながらじっくり描くもので、クロッキーは好きな画材で素早く線を決めて短時間で描くもの」。当時の私はそんなふうに解釈し、鉛筆でクロッキーをしてみましたが、思った通りに描けませんでした。
これは伊藤銀次というミュージシャンの『BABY BLUE』というレコードジャケットで、横尾忠則さんが絵を描いています。中学2年生の頃、兄が買ってきたのですが、「ヨコオタダノリがグラフィックデザインした」という言葉をすごく覚えていて、このときが「横尾忠則」という名前や「グラフィックデザイン」を意識した最初の体験だと思います。それ以来気に入って、僕が上京するときにこっそりと荷物に入れ、いままでずっと持っていて部屋に飾っています。
印象的だったのは、文字や絵、その色や形、そして筆さばきがすべて一緒くたになって、それぞれが不可欠なものとして成立しているということ。文字と絵が別個のものとして存在していたり、文字が明確に読めるかどうかが強く意識されていたりするのではなく、それらがすべて一緒のものになっている。これがグラフィックデザインだ、というこの感覚は、いま自分がデザインをするときでも外せない感覚です。